yumiの記憶保存帳

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春の公園で、初々しい新緑や小さな花を楽しんでいると、
それらは落ち葉を退けて出てきているのだった。

ああ、落ち葉は春になってもまだあるんだったけね。

と思い、落ち葉を眺めたら無数の小さい穴が開いていた。
軽く触れただけでくしゃ、と崩れてしまいそうだった。

拙い理科の知識を掘り起こすと、
落ち葉は土中の微生物が食べて、土に還っていく。
それなら、永遠に終わる事のない命なのだ。
死は、また生まれ変わるのに必要なものなのだなあ。
それなら、私は生まれ変わりを信じる。

そう思った春の一日だった。
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神についての考察 

神に近づきたいと思うことは自分を苦しみの淵に落とすようなものだけれど、
いけないことをした時、心が痛むのは、どうしてだろう。
親しい人が悲しんでいると、自分も悲しくなるのはどうしてだろう。
神に近づこうとすれば、人は自分の穢れに気付き苦しむ。
だけれど、苦しみこそが、穢れを落とす唯一の術なのだろうか。
それなら、神は……何もしないのだ。
ただ、我々が甚大なエネルギーに憧れ、近づき焼かれるようなものか。

海の生物 



海の生物はとっても海に合った体をしている。

人間が生身のまま飛び込むと、五分も経たず空気を求めて海と空の狭間に顔を出すけれど、

海の生物は一部は除いてずうっと海の中を泳いでいられる。

いいえ、泳ぐというのではなく、歩くとか走るとかそういう感覚なのかもしれない。

人間が泳ぐと水が重たいし、まとわりついているという感覚がするけれど、

海の生物はそれを感じないだろう。(陸の生物が空気をまとわっていると感じないように)

それでは、生き物の身体は歴史を表わす形で満ちているのだなあ。

海の生物は水の抵抗をなるべく減らすために横に長く、幅が狭くなった。

だからあんなに無駄なものがなく美しい曲線で構成されている。

身体って、一生懸命に世界になじもうとした努力の結晶なのだなあ。

それって、なんだか凄いような気がする。

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